Document

コロナ禍以降のアート制作・発表モデルとしてのレジデンス

グエン・アン・トゥアン
Heritage Spaceアーティスティックディレクター

レジデンスプログラムは、定期的な文化・芸術交流を推進し、アーティスト及びアートコミュニティを育成し、特定の地域や都市、国における芸術・文化の発展を促進する方法の一つであり続けている。しかし、2年を超えるコロナ禍により、多くのレジデンスプログラムはオンラインでの開催を余儀なくされた。国際的な渡航制限が緩和された直後に(日本は未だ制限があったが)NPO法人 S-AIRよりレジデンスプログラム参加への招待を受け、私は日本に渡航。芸術文化活動、特に日本第5の都市・札幌におけるアーティストや芸術関連団体の復興に向けた第一歩を肌で体験する機会を得ることができた。

NPO法人S-AIRは、日本で長く国際的なレジデンスプログラムを継続している美術系団体のひとつで、コロナ禍ではプログラムをオンラインで実施することにより、活動を休止することなく継続してきた。S-AIRのプログラムで興味深い点は、レジデンスのタイプが「アーティストプログラム」と「キュレータープログラム」の2つに分かれていることであろう。アーティストプログラムは、「アーティスト − スタジオ − 展示 − コミュニティの交流」という標準的なモデルが容易に想像つくことと思う。一方、キュレータープログラムには、短期と長期の目標があり、このモデルでは2つの大きな要素がある。1つは、滞在中に特定のテーマや目標に焦点を当てたリサーチの必要性で、もう1つは、将来に向けた長期的な協力やつながりの機会を考えながら、幅広い交流を生み出すことである。アーティストは滞在中に体験したことや置かれた環境に呼応して作品を制作するが、キュレーターは滞在先のアートシーンを自分の地元のアートシーンと重ね合わせ、その場所との交流を生み出すことを考えるのである。初めての地域と連携し充実した交流を通して多面的な効果をあげるためには、その場所でどのように文化が生まれ育まれているか、その仕組みを理解し、把握することが重要である。キュレーターが現代アートの「門番」であるとすれば、キュレーター・イン・レジデンスは門と入口をつなぎ、強固で効果的かつ持続的な「アートの交通システム」を構築する存在であると言えよう。

日本第5の都市である札幌のアートシーンは、その人口密度、市街地、(おそらく小規模と見られる)アートコミュニティを考えると、決して大きなものではない。明治政府により北海道開拓使が設置され150年以上が経ち、その中心都市札幌は、ベトナムで最も経済発展、貿易、国際交流が盛んな都市であり、3世紀ほどの歴史を持つサイゴンと多くの共通点があることに気づく。アイヌ民族の伝統文化、米国などの西欧の影響、後の和人の定住など、時間と歴史が織りなす複雑な文化の層が存在し、おそらくそれが現在のアート全般に影響を与える主な要因となっているのであろう。

札幌での滞在の目標は、現地のアートシーンを体感することはもちろん、地域での文化的要素の育み、運用、創造する仕組みについて学ぶことだった。そのため、博物館や大学などの施設、博物館やパブリックアート、美術館などの公共スペース、独立アートスペースやグループ、コレクティブなどの発展・交流に関わる場、アーティストやアーティストのスタジオなどの創造の場など、役割や機能、規模の異なる様々なところを訪れる機会を持つようにした。

北海道で訪れた博物館は、ウポポイ国立アイヌ民族博物館と北海道博物館。私にとって、土地の物質的生活や社会生活の形成の歴史を理解することは非常に重要だ。これらの博物館では、入植者が持ち込んだ様式と外国から取り入れた様式がわかるように地元の建造物が展示され、歴史が明確にそしてわかりやすく保存されている様子がわかった。北海道開拓の村では、学芸員と文化の盗用や文化の継承、そして多様な文化や人種が共生する国で起こりがちなことだが、自分たちの文化について話す権利を奪われ、疎外されたコミュニティの事例など、非常に興味深い議論を交わした。ウポポイ国立アイヌ民族博物館では、アイヌ民族の歴史、生活、風習、習慣、信仰、現代文化など、アイヌ文化が近代的かつ幅広く、比較的に全体を網羅する形で紹介されている。アイヌ文化史を幅広く公に伝えるという意味だけでなく、現代のアイヌ社会の豊かなリソースや統合能力、社会的関連性を明らかにするという意味でも、包括的な展示を実現していると言えよう。 全体的に、北海道の文化的歴史博物館のシステムは、欧米の機関に完全に匹敵する高い水準にある。

博物館以外には、私はハノイにあるベトナム美術大学で10年以上教えていたこともあり、芸術教育にも興味がある。札幌市立大学では、講師でデザイナーの須之内元洋氏、北海道教育大学では、教授でアーティストの伊藤隆介氏と同じく教授でS-AIRの代表でもある柴田尚氏を訪ねた。いずれも、ベトナムの芸術教育機関と比べると、物理的基盤が完璧であり、環境もはるかに整っていることがわかる。しかし、カリキュラムに関して言うと、ベトナムと日本の芸術教育には共通点があることに気づかされる。芸術教育は常に固定観念や教育学に縛られがちで、学内で実践的な発展や実験を支援する余地はほとんどない。そのことからも、札幌のS-AIRやハノイのHeritage Space(ヘリテージ・スペース)のような独立系美術団体は、芸術を学ぶ学生や若いアーティストが新しいことを経験する場や、将来の活動に向けてネットワークを作る国際交流の場など、学校の環境ではなかなか得られない機会を提供する重要な役割を担っていることがわかる。

教育システムと並ぶ私のもう一つの関心は、美術組織やアーティストのスタジオ、アーティスト主導のプロジェクトなどの民間・独立系システムにある。それらは、ポジティブな新しいエネルギーを生み出し、新しい創造が育まれ、形になる瞬間を後押しする場所である。さらにそこから、教育制度に活力を与え、新しい芸術・文化の価値を形成する場所でもある。また、幅広いスケールとレベルの国際交流の場でもあり、非常に柔軟で機動的、かつ低コストである。教育制度が地域文化とアイデンティティの骨格と基盤を形成しているとすれば、アーティスト個人や独立組織は、その文化体系を動かすエネルギーと血管、エンジンなのである。

S-AIRとなえぼのアートスタジオは、札幌では不可欠なふたつの組織と言えよう。S-AIRのレジデンスプログラムは、2年間のコロナ禍におけるオンラインプログラムも含め、24年の歴史がある。これはひとえに、ディレクターの柴田尚氏とメンバーの方々の素晴らしい努力の賜物である。なえぼのアートスタジオは、地元のアーティストたちが運営する制作スタジオで、一般に公開できる展示スペースも備え、人気のあるスペースだ。S-AIRは海外からアーティストを招へいし、専門知識や交流の機会を創出する。この2つの組織が1つのロケーションに集まることで、有機的な関係が生まれ、共にアートを一般市民に公開している。私やもう1人の招へいアーティストのメイタオ・チーがなえぼのや他のアーティストのスタジオを訪ねると、私たちのトークを開催した時に彼らも来てくれるというように、ここは他のギャラリーなどとも繋がっていることから、地元のアートシーンの拠点のようにもなっている。

今回のリサーチのハイライトの一つは、アーティストがキュレーションしたアートプロジェクトだった。例えば、飛生芸術祭は、地元のアーティストたちが中心となって企画・運営され、10年以上続いているイベントだ。当初は地元の経歴のあるアーティストたちによって立ち上げられ、友人やアーティスト、スポンサー、コミュニティの参加を呼びかけ、ワークショップ形式でアート活動を行い、街の様々な場所で作品を発表する。地元の地理、習慣、文化を取り入れ、物理的環境やインフラのシステムをうまく活用し開催されている。今年は、屋内外のスペースや学校、図書館、小さなお店の一角など、町の様々な場所で作品が展示された。特に印象的だったのは、半世紀以上前の開発の歴史や居住生活、労働に関連した2人の有名なアーティストによる写真が、海岸沿いの建物の壁面に展示されていたところだ。廃墟となった古い漁師の家を展示場とすることで、生命が生まれ、そして消えていくはかない様子が見事に表現されていた。

もう一つの素晴らしい事例は、岩見沢市の廃校を活用し、教室をアートスタジオやギャラリー、コミュニティが集まる空間に変えたプロジェクト「みる・とーぶ」だ。参加アーティストの上遠野敏氏は、この近くのかつての駅舎を小さな博物館のように作品を展示するプロジェクトにも案内してくれた。これらのプロジェクトが、近隣の環境や住民の精神面に良い変化をもたらし、異なる世代やバックグラウンドを持つ人々が交流し、一つとなる機会を生む効果をもたらしていることは明らかである。また、歴史的な記憶を保存し、人間の歩みを想起させ、共同体が持つ価値を博物館のように示す場所として機能している。このモデルは、ベトナムのアートシーンにおける最近のプロジェクト、例えば100人以上のアーティストやアートグループが参加する、アーティスト主導で生まれたフェスティバル「No Cai Bum」や、10年以上にわたって実施されているパフォーマンスに焦点を当てたアーティスト主導のフェスティバル「IN:ACT」に非常に近いと言える。ボトムアップのプロジェクトは、創造的であることの必要性や芸術、文化、地域の暮らしの活力が生き生きと披露される場であり、それは地元の歴史、政治、経済を反映している。これらは、博物館のような学術的な展示からは伝わらない、人々の活力そのものの真性さがある。

その土地の芸術文化の仕組みを深く理解するためには、中・長期的な滞在が必要であり、それを可能にするのがレジデンスプログラムである。レジデンシーは、現在もなお、そして将来にわたり多くのポジティブな効果を生み出す活動であり、文化交流モデルのひとつであろう。しかし、新しいモチベーションやエネルギー、文化・芸術的経験の深さを生み出すために、常に新たな運営・活動方法を模索し続ける必要がある。もし、従来の方法に従うだけならば、交流の価値は曖昧で形式的になり、発展や影響を生み出すことが不可能になってしまう。これは、私とアーティストの伊藤隆介氏が、日本やベトナム、その他多くの国のレジデンスプログラムを比較する際に議論し、意見を同じくする点である。S-AIRが、北海道を訪れるアーティストにとって、最も信頼できる重要な目的地のひとつであり続けるために、さらなる進化を遂げることを願っている。